夜空のドラゴンズ

中日ドラゴンズ応援ブログです。

老舗球団 中日ドラゴンズの活躍に私的な意見など書いていきたいと思います。

もう一つの球団

いつだったか、セパ2リーグ分裂後、西日本パイレーツという球団があったということで書いたことがありますが、今回は名古屋にもう一つの球団があったということを書こうかと思います。その時代、私はまだ生まれていません。いたら今頃、杉下さんくらいの歳になっていたことでしょう。言うても、それほど詳しくないので・・・・ご了承ください。


時は1936年、80数年前、プロ野球は誕生し、1リーグ時代が幕開けたというところです。名古屋には現在の中日ドラゴンズのルーツ、新愛知新聞が作った、名古屋軍がありましたが、名古屋新聞が作った名古屋金鯱軍という球団が存在していたようです。現在のJリーグ名古屋グランパスと同名?いや名古屋ゴールデングランパスという名前になるのかな。


この金鯱軍は5年くらいで翼というチームと合併して、大洋軍というチームになります。大洋軍になった後も、名古屋新聞は大洋軍の運営に参画しますが、すぐに新愛知新聞と合併して、大洋軍から離れました。


今の中日ドラゴンズの原型は新愛知新聞と名古屋新聞が対等合併し、中日新聞社となったことによる。中日球団の経営が二派閥になるというルーツがどうもここにあるようなんですね。対等合併というのがどうもオーナー交代制を生んだと・・・現在もこの源流なのかどうかはよくは知りません。


名古屋金鯱軍のホームグランドは鳴海球場。遺跡は鳴海自動車学校になっているようですが、とてつもなく広い球場であったと言われる鳴海球場。


では名古屋ダービー、名古屋軍(中日ドラゴンズ)VS名古屋金鯱軍はあったか。ありました。1936年から40年にかけて。その対戦成績は名古屋軍27勝、金鯱軍28勝とみられます。名古屋ダービーは金鯱軍が勝ち越してます。80年史で目検で数えた数字なので、間違っていたらごめんなさい。まあ五分五分ってとこですかね。


対戦の実績を見ていて思ったのは、鳴海球場での試合は無いですね。主に、後楽園、甲子園、西宮、洲崎などの球場で試合されています。まあ当時、中日球場、ナゴヤ球場はまだ生まれていない。でも名古屋ダービーなので代表する巨大球場の鳴海球場で試合があっても良かったのではと思う。1リーグ時代、後のセパに分裂後も、プロ野球は後楽園や甲子園でまとめて試合してたか、地方球場を行脚していた時代。なかなかホームアンドアウェーっていう感覚もない、大道芸人興行みたいな感じだったかもしれないですね。


データを見ていて、面白いことも発見しました。1940年。プロ野球は満州遠征というものを行っているようです。奉天、大連、新京といった中国大陸の都市で試合が開催されているようです。8月に行われてますね。名古屋VS金鯱も大連と奉天で2試合が行われています。名古屋軍2連勝してますね。満州シリーズで名古屋軍10勝5敗1分けのようですね。なにやら不思議な感じのする時代ですね。日本が戦争へと邁進する中、このような大規模な遠征もあったんですね。


名古屋金鯱軍。このもう一つの球団が長生きしていれば、また違った展開があったのかもしれません。結局は中日ドラゴンズの中で生き続けているともいえるのですが、中日ドラゴンズに昔は兄弟がいたみたいな感じで、不思議な感覚にとらわれます。

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