夜空のドラゴンズ

中日ドラゴンズ応援ブログです。

老舗球団 中日ドラゴンズの活躍に私的な意見など書いていきたいと思います。

殿堂入り田淵さんの時代の阪神

田淵幸一さんが殿堂入りしましたね。


星野さんの盟友でもあり現役時代はビューティフルアーチストだった。美しいアーチを描く打者だったと思う。


後年は星野さんに付き添うような感じだったけど、ちょっと仙ちゃん想いが過ぎていたというか、なんであんなに仙ちゃんはねみたいになってしまったのか。現役の時はある意味、怪物。星野さんなんぞ相手ではなかったのに。


当時の阪神。昭和50年代前半。よく覚えている。


打者では田淵、中村勝弘、藤田平、掛布、ブリーデン、ラインバック。投手では江本、上田次郎、古沢、山本和といったメンバーだったような気がする。これはなかなかのメンバーですよ。強かった。


初めてナゴヤ球場で中日の試合を見た時、相手は阪神だった。記憶がそれほどないんですが、カクテル光線に映し出されるナゴヤ球場が大きく美しく見えたあの試合だった。場所はライトスタンド手前の内野席。


田淵が出ていたかどうか、記憶にないんですよね。もしかしたら怪我していたかも。ただライトを守っていた外国人選手のラインバックはよく覚えている。この選手は左の好打者で江川のデビュー戦で確か江川からホームランを打ったんじゃないかな。もう、世間は江川憎し!って時でしたから、ラインバックのホームランはほんと胸のすくおもいだったと思います。


当時、今の審判団と違って、外野に線審という審判が居て、松下さんという人だった。お客から”松下さん、暇やろ!”って野次のような、話しかけのような言葉が飛ぶと、松下さんが頷いて、観客が笑っていた。そんななごやかな感じではあったが・・・・


そんな中、ライトへヒット性のライナーが飛んできた。ライトの守備はラインバック。誰もがヒットと思ったが、ラインバックが滑り込むように捕球。


あれは・・・スーパープレイだった。あの時、これがプロかと思ったのかもしれない。なのでラインバックは非常に印象深い選手だった。残念ながら、その後、若くしてこの世を去られたと聞いたときは、本当に驚いた。目を覚ましてくれたラインバックにはいまだに感謝している。


またブリーデンという外国人選手も印象的だった。身体が大きく、名前が非常にまっちしているように思えた。ブラゼルを右打者にしたような感じかな。なにかいつも口いっぱいにガムを入れて噛んでいたような記憶がある。この人は引退後、アメリカのどこかの街の保安官になったと言われている。


その他にも中日で言うなら高木守道のような中村勝弘、安打製造機の藤田は後に監督にもなる。


結果から言うとこの試合は勝ったんですけど、一番記憶に残っているのは、ナゴヤ球場のフォルムとラインバックと松下線審という・・・

×

非ログインユーザーとして返信する