夜空のドラゴンズ

中日ドラゴンズ応援ブログです。

老舗球団 中日ドラゴンズの活躍に私的な意見など書いていきたいと思います。

ドラゴンズ戦記 神宮の激戦

中日は神宮のことを鬼門と長年思ってきました。でも落合さんと森さんの期間がなぜか神宮鬼門になっていたような気がする。


それはなぜか・・・・わからん。もしかしたら打ち勝つ野球が苦手だったとか・・・それだけ投手依存度が高いせいだったかもしれない。何とも言えないけど。ナゴヤ球場式の野球で挑むと、勝てるかもしれない。それだけ落合、森の時代は投手力への依存度が高かったとも・・・・


そんな神宮で、印象に残る試合が2試合。
1974年10月11日 神宮球場 ヤクルトVS中日
20年ぶりの優勝、巨人10連覇阻止のためマジックを減らしてきた中日だったが神宮でのヤクルト3連戦、1戦、2戦と連敗。もしこの日負けると、後楽園での巨人戦まで優勝が持ち越しになる。巨人は勢いを取り戻し直接対決は分が悪いと思われていたという。ヤクルトの監督とコーチは荒川、広岡。元巨人だった2人。しかも、この当時もかな?ヤクルトのオーナーは巨人ファンだということも聞いたことがあるが・・・1982年かな?とにかく巨人の手先みたいな感じですね。試合は鈴木孝政の先発。確かヤクルトが先制したと思うが、中日の選手がガチガチで思うようにパフォーマンスができない。そんな中、木俣が逆転のタイムリー。苦手投手、多分、松岡さんだったか、からタイムリー。しかしヤクルトすかさず同点。さらには勝ち越し。9回を迎えることとなった。スコアリングポジションにランナーを置いて、高木守道、三遊間へのヒット。土壇場で同点。九回裏、星野さんが鬼の形相で抑えて引き分け。翌日、ナゴヤ球場で大洋に連勝した中日は20年ぶりの優勝を果たす。


1982年10月15日 神宮球場 ヤクルトVS中日
この年は野武士軍団と呼ばれた選手たちが粘りの野球を見せていた。9月に逆マジックという、聞きなれないマジックが点灯する。2位だけど残り試合数とかで勝率で中日が上回るという状況。何度かもうだめだと思われたときに、巨人や広島が取りこぼしをして助けられた。優勝できる。終盤の一戦一戦が重くのしかかる中、神宮でヤクルト戦を迎える。この試合に勝たないと、残り横浜での大洋との3試合全勝しないといけない。敵地3連勝は難しいのではというところだった。この時かな?ヤクルトのオーナーは巨人ファンだと。松園オーナーだったかな。この試合はリアルにラジオ放送を聞いていた覚えがある。球場の熱気は凄まじい。藤波のホームランで先制。藤浪さんはバッティングが好調だと止められない選手なんだが、シーズン通してやり通す体力が無いと言われていましたが、この一発は大きかった。さらに大島康徳のホームラン。大島がガッツポーズ。たしか3-0とリードした。しかし終盤、ヤクルトが追い上げる。というか9回裏、抑えの牛島がランナーがどんなんだったか忘れたが、かなり追い込まれていた。ホームで補殺も有り、それが間一髪であったため、ヤクルトも抗議。終盤に荒れる試合。しかしなんとか牛島踏ん張って、3-2で勝利。横浜では2勝1敗で勝ち越し、最終戦で優勝を決めた中日。


どちらも熱戦だったと思う。この時、ヤクルトは5位あたりにいたと思うが、ヤクルト、優勝に関係ないのに、なんで頑張るのよ!って文句言いたくなった。


後年、近鉄とロッテの川崎決戦を見た時、あの神宮の2試合を思い出した。このときのロッテも下位低迷で優勝には関係ないのに、なぜ頑張る。という気持ちになったが、負けてやるよって言ったらおしまいだしね。逆に優勝を目指すチームがあっさり勝っても、なんかできすぎだねって感じになるし。ヤクルトもロッテも難しいところ、失礼の無いように全力で戦ってきたということでしょう。

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