夜空のドラゴンズ

中日ドラゴンズ応援ブログです。

老舗球団 中日ドラゴンズの活躍に私的な意見など書いていきたいと思います。

私的なドラゴンズ日本シリーズ戦記 1999年

子供の頃からノストラダムスの予言は本当に来ると信じていたが、気づいてみればもう1年しかない。その1年前、世紀末にドラゴンズ5度目のVがやってきた。


88年から11年を要してはいるが、なにも無かったわけではない。惜しい!という年が何度もあった。


1991年、いつもの宿敵・巨人ではなく広島だった。夏場首位で折り返し、広島との天王山で確か勝ち越したんだが、抑えの森田が逆転され、星野さんが嫌な予感がするというようなコメントをした。その後、まさかの失速。広島が優勝。


今中、山本昌。だれもが羨む2大エースを持つ時代。1993年はヤクルトと終盤まで首位争い。高木監督は”刀折れ、矢尽きた”と最後に表現。2位に終わる。


伝説の10.8決戦が1994年にあった。終盤失速ではなく終盤に猛追撃といういつもと違うパターン。普段通りで挑んだ中日に対し、巨人は史上最大の全勢力投入。長嶋さんの明るさと巨人の底力に敗れる。


1996年 星野監督復帰。ナゴヤ球場ラストイヤーとなったこの年、山崎、大豊ら長距離砲に加え、狭いナゴヤ球場という地の利も活かして巨人を追撃したが、またしても長嶋さんの明るさにナゴヤで制される。


1998年 権藤さん指揮するマシンガン打線の横浜と最後まで首位争いをする。が、最後の横浜との決戦(かなりの試合数が残っていたが)殆ど負けてしまい勝負所での弱さを露呈してしまう。権藤さんと適齢期の選手が揃った横浜に敗れた。


今度はリーグで万年2位の称号がつき、日本シリーズどころでもなくなっている。歯ぎしりするような年月が過ぎていった。


そしてたどり着いた1999年。投手陣はエースとなった野口。新人王を獲った川上。パリーグから来た武田。ちょっと不調気味だった山本昌。リリーフには岩瀬、サムソンリーと宣。打者はリーダー立浪、和製大砲の山崎、外国人ゴメス、新人福留、もっともハッスルした関川らが名を揃え、開幕11連勝!巨人の猛追もあったが、この貯金が最後の最後まで効いた。11年ぶり優勝を勝ち取った。


そして日本シリーズ。相手は王さんが苦しみながらも育ててきたダイエー。投手陣に試合巧者のベテラン工藤。打線に秋山。この元西武の2人が・・・やはり大舞台に強い。さらに若手に将来を背負う、小久保、松中、城島が現れていた。あとから見ると相手は凄いメンバーだ。中日が売り出した岩瀬に対抗するかの如く、ダイエーも篠原というリリーフと抑えのペトラザで万全だった。


球団の歴史の古い中日。対して新興のダイエー、もとい元南海。これは初対決。1954年は九州の西鉄に勝利して初の日本シリーズ制覇。それにあやかりたいものだ。そう思って今回こそはという気持ちで見ていた。


が・・・88年はゲーリーが脇腹痛でほとんど出れなかった。今回は何と山崎が優勝を決めた試合で手首を骨折。シリーズ不出場となっていた。これは結構な痛さだった。


1戦目、工藤に完封を許してしまう。実はこの1戦で勝負ありのような感じさえあった。2戦目川上がカーブを駆使して好投、ゴメスも長打を打ちタイには持ち込んだ。しかし、ハッスルボーイでファンの期待を一身に受けた関川が絶不調。逆シリーズ男だったと言っていい。ナゴヤドームでは簡単に完封負けで2連敗。第5戦は序盤にダイエーが6点のビッグイニング、関川にもヒットが出て地味に追いかける中日。しかし序盤の失点が響きダイエーは逃げ切りに成功。王さんの胴上げが綺麗にナゴヤドームで舞い上がる。新設ナゴヤドーム初の胴上げが他球団になるなんて、酷いものだ。この日本シリーズは中日に何の意味があったのか?ただただ力不足。運も悪い。くしくもその年からダイエーに移籍した鳥越が中日に対して、ほくそ笑んでいる気がした。


レギュラーシーズンで燃え尽きる。主力が怪我で欠ける。トレードで出した選手の移籍先が優勝する。妙な連鎖が続いているように思えた。最後のほうは、もう見ていなかった。これがドラゴンズなんだとこころに思いつつ。いつこの心が満たされるのか・・・日本シリーズはいつも私の心を寂しいものにしていった。