夜空のドラゴンズ

中日ドラゴンズ応援ブログです。

老舗球団 中日ドラゴンズの活躍に私的な意見など書いていきたいと思います。

私的なドラゴンズ日本シリーズ戦記 1974年

今年からこのブログを書き始めましたが、最初は日本シリーズ戦記ものを連載してました。その中で書かなかった日本シリーズ戦記が2つあります。1974年と1954年。なぜ書かなかったか、実際、目にしてないからでした。


1974年(昭和49年)オイルショックと言われた年ですね。トイレットペーパーが無くなるとかでみんな買いあさったと言われる。内閣も交代。政変がある年に中日が優勝するというジンクスも一時期ありました。1988年に限っては天皇崩御の年に優勝しているというドラゴンズ。なんとなくブラックな歴史も持っている。日本プロ野球ファンにとっては一時代の終焉を見ることになる長嶋の引退もこの年だった。


V9時代の巨人は強かったんでしょうね。猫も杓子も巨人だった時代だと思われます。その巨人の10連覇を阻止した1974年の中日。ここにいたるまで中日は元巨人の監督で名将を言われた水原さんを1969年から監督として招聘している。これにより1974年V戦士となる選手の基礎がつくられたと思われる。1972年からこれも元巨人の与那嶺さんを監督に招聘。与那嶺さんは巨人のヒットメーカーで現役最後の2年は中日にも在籍した人。巨人の川上監督に猛烈な対抗心を抱いているようでもあったらしい。


そう考えると、元巨人でありながら、巨人との間に問題が生じ外に出た人材が、中日ドラゴンズを新しい形に変えていったように思う。OB生粋の監督を放棄して、新しいチームを作ろうとしたことは中日は意外に早かったのかもしれない。


力は拮抗し始めていた。巨人の勤続疲労も出始めたのかもしれないが、1972年、73年は与那嶺さんの執念?で2年連続で巨人に大きく勝ち越していた。そして悲願が74年に成就する。


この年20年ぶりのリーグ優勝!巨人の10連覇を阻止。名古屋の街は揺れた、燃えたらしい。当時を見た人は、あれは異様だった。狂乱していたと・・・優勝時のグランドになだれ込むファン。あの凄まじい人の波は幕末維新のええじゃないかを彷彿させる。世直し、時代が変わったと思えたんじゃないでしょうかね。


だがその数日後には日本シリーズが待ち受けていた。


日本シリーズの相手はロッテオリオンズ。金田監督のお祭り野球。実は中日はお祭り野球に弱い。勢いで推すチームに弱いんです。おそらく当時のロッテはそんな感じのチーム。有藤、村田兆治らが主力となる強力なチームでもあった。


第1戦はナゴヤ球場。追いつ追われつリードされて最終回、高木守道のサヨナラタイムリーで中日先勝。幸先いいね。ミスタードラゴンズ高木さんは当時何度も、窮地から逆転打を打っていた。リーグ戦ではあの神宮での激闘で最終回同点打を打った。後年、星野さんもキマやんもタカマサもみな足が震えたと言われる試合だったらしい。巨人との直接対決ではないが、巨人の巨大な影を感じる試合だったのでしょう。その高木さんのサヨナラ打っていうんだから、これは行けるわ!と思えたに違いない。


第2戦。これはスコアで見ているのですが、5回まで5-1でリード。8回まで5-3でリード。これはもう連勝やってとこでしょう。しかしリリーフの星野さんが打たれ8-5と逆転負け。あれだけシーズン中、修羅場を潜り抜けてきた星野さんが・・・確か初戦も星野さんは9回勝ち越しを許している。パレードの握手会で手が痺れて・・・っていうことがホントだったのか?それとも打倒巨人成就で燃え尽きたか。星野さんが使えないとなるとこれは・・・・2018年の中日状態になっていたかもしれない。


第3戦。後楽園球場。当時ロッテはジプシー球団と呼ばれ、本拠地を持たない球団と言われ、ホーム球場を転々としていたと言われます。地方球場を借りていたのだと思われますが、主に仙台宮城球場(現楽天の本拠地)が最終的に地元だったと思われます。楽天以前に東北に居を構える球団があったわけです。しかしおそらく観客動員の問題から、東京の後楽園を使用したのでしょう。昭和53年のヤクルトもなぜか後楽園を使ってましたが・・・そんな中の第3戦。中日は松本幸行の好投で8回まで5-0とリード。8回に4点を返され、リリーフ鈴木孝政で逃げ切りに成功。2勝1敗とする。鈴木孝政は2戦目に先発もしていることから、中1日で登板。当時、近藤投手コーチは投手分業制で投手の継投を得意とする人でした。なかなか進歩的なドラゴンズもこの辺にはあるのですが、星野さんがおかしいということもあり、フル回転操業もやむを得なかったところですかね。松本さんはこの年20勝を挙げており勝ち頭。快刀乱麻というかテンポの異様に早い投手でしたね。ちょい前中日にいたバルデスのような感じです。球速はなくともそのテンポで相手を翻弄する味のある投手だったと思います。


第4戦。思えば2戦目勝っていれば、すでに王手のかかった試合だったんですが、多分、高木さんの先頭打者ホームランかなんかで先制したんだと思います。逆転を許しつつ6回にマーチンのホームランなどで同点に追いつく。しかしリリーフが打たれ6-3で敗れる。この試合でミスターの高木さんが自打球で骨折した。これは非常に痛い。チームの柱、野手の高木が骨折、投手の星野が絶不調ときたら、これは・・・・苦しいね。


第5戦。鈴木孝政と木樽の投手戦となった。日本シリーズって大概、こういう投手戦ってのが1試合くらいあると思うが、それに勝てるかどうかが大きなポイントでもある。中日はどちらかというと落としてしまう。また70年史によるとマーチンが好機に3塁で刺殺され流れは悪い方へ。0-2で完敗となりロッテに王手をかけられた。


第6戦。舞台はナゴヤへ戻る。リードされては追いつく展開。先発は松本さん。松本さんよく考えると、1,3,6戦と先発。フル回転している。延長10回。ついに不調星野さんが登板!うーーーん・・・・勝ち越しを許しちまった・・・・これが決勝点。ドラゴンズは20年ぶりの日本シリーズを落としてしまった。


中日は巨人に勝った!ついに優勝した。熱狂した。それで満足だった。燃え尽きてしまったのだろう。巨人連覇の長い呪縛を解いた代償といっていいのか、中日に呪縛がかかったのはこの年からだったかもしれない。日本シリーズに勝てない。


巨人の呪いなのか。神の如く君臨していた巨人を倒したことが中日に長い長いジレンマを与えることになっちまったのかなあ・・・


後年、私は中日ファンになる。もう長い間ファンしてるなあ。いい時代も見れた。今は6年連続Bクラス。まあ、そろそろ逆襲を、反撃の狼煙を上げてほしいものです。

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