夜空のドラゴンズ

中日ドラゴンズ応援ブログです。

老舗球団 中日ドラゴンズの活躍に私的な意見など書いていきたいと思います。

ノムさんが監督だったら

故野村克也さんが亡くなって、日が経ちました。ノムさんが中日の監督をしていたら、今とはだいぶ違った中日になっていたかも。いい意味でも、悪い意味でも。


タイミングとしては野村監督が阪神の監督を最後に努めた2001年を境に、2004年の落合監督就任までの間に可能性が無かったわけでもない。星野さんと野村さんを監督トレードみたいな感じで・・・・これはちょっと変な状態になるので難しかったでしょうね。


となると2003年秋。落合さんに監督要請するあたりが可能性があったと見るべきか。


あの時、桑田、野村さんあたりは候補に挙がっていた?単にファンが妄想していただけかもしれないが、監督になってもらう機会ではありましたよね。ただ野村さんには名古屋に縁もゆかりもあまり無いような感じでしたね。対して落合さんはいろいろあったけど、中日の4番でしたから。


野村さんが2004年に中日の指揮を執っていたら、


あの2004年。10%の引き上げを掲げた中日。特に決め手があるチームでもなかった中日。川上もエースと呼ぶにはまだ未知数なところがあった。井端、荒木、福留と若い力が打線は台頭していたが4番がいなかった。


おそらく、中日の整い始めた戦力に野村さんも、宝の山だと思ったかもしれない。鉄平の才能をいち早く見抜いていたかもしれない。


投手陣では山北、佐藤充、久本、正津、中里、小笠原あたり目を付けて伸ばしていたかも。内野では森岡、中川、堂上剛裕あたりか。外野は落合さんもふるいにかけていた。土谷鉄平、森章剛、中村公浩。野村再生工場では投手で紀藤、平松あたりが再生候補になっていたかも。


問題はキャッチャー。谷繁とうまくいっていたかどうかがわからない。谷繁をうまく使うかどうかということは2004年以降の中日にとっては非常に重要だったわけで、野村さんと谷繁が噛み合わなかったら、中日はおかしくなっただろう。もしかしたら当時いた柳沢、前田、田上あたりを育てにかかったかもしれない。


あとはOB。この関係は難しい。落合さんとて、最初からOBの意見など無視していたわけではないとは思う。支援してくれるスポンサーを無視していたわけでない。しかし、途中からはバッサリ周りの雑音を切って捨てることができた。これは、結構、落合さんしかできないかも。野村さんもそういう行動には出れるかもしれないけど、負けてしまうような気がする。それに野村さんて、派閥みたいなものをあまり持っていなかった感じがする。これは孤立する危険もある。意外と傍に置くコーチ陣も育てていた感じなのかな。ただ外様を孤立させる中日の悪い体質もまだあっただろうしね。落合さんは森さんという強面が参謀だったのは大きかったですね。


監督っていろいろ激務だと思います。当時の中日は何もない状態ではなかった。一応それなりの歴史と台頭しつつある若手、扇の要がいた。野村さんの野球はなるべくなにも無い状態にもっていくと、3年くらいで花を開かせる状態になるとは思う。


まあとにかく、無かったことなので何ともいえませんが、見たかった気もするな。


今の中日。当時と同じようにと言っていいかどうかわからないが、若手が台頭し始めている。絶望的だった数年前とは大きく異なる。監督の手腕がまた試される時が来た。


そんな中、このウイルスショック。どういう形でも今年、プロ野球をやりたいところですが、何とも言えませんね。ほんと、こんな異変が見られる年、言ってはいけないが中日ってこんな年、優勝したりする。

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