夜空のドラゴンズ

中日ドラゴンズ応援ブログです。

老舗球団 中日ドラゴンズの活躍に私的な意見など書いていきたいと思います。

1イニング2ホーマー

癌と闘病生活でお亡くなりになられた大島康徳さん。


私が中日ファンになったころに若手上昇株の選手で、思い出は結構ある選手でしたね。


中でもちょっと前にビシエドが記録した、1イニング2本塁打を2回もしている選手だった。その2回目を見たことがある。まだ私は子供だったので、インパクトのある記録や試合は結構覚えていることが多い。変な暗示にかかることもあった。後楽園で中日は巨人に勝てない年があり、後楽園では勝ってはいけないのだなという感じを持っていた。王さんは神様みたいな人だから王さんには打たれてもいいとか。なんか当時も今も変わらずネガティブというか・・・巨人様にはやられて当然でございますみたいな。


当時の巨人は今以上に強かったと思うので、その巨人を相手に1イニング2ホーマーを放った大島は凄い!と心が躍った。1イニング多分8点取った。これも中日が8点も1イニングでとるなんて・・・・時代が変わったのか?と子供ながらに考えていた。この年だったかな?後楽園での連敗記録が止まったの。この時も時代が変わる!って勝手に思った。今と同じ、暗黒時代を抜けたのではと。


大島選手のお兄さんが白血病だったと思うが、多分、このころ、亡くなられて、大島選手は葬儀などに行って、すぐにその夜帰ってきて、ヒットを放った。実況が確か、魂のヒットだとかなんか言ってた。あれも心に残ってる。


あとは昭和57年の優勝をした年、マジック2か3で迎えたヤクルト戦でレフトへ弾丸のようなホームランを打ったのも覚えている。ガッツポーズで一塁を回る大島選手を見て、やったあーーって。この試合、非常に苦しい試合になったのを覚えている。藤波、大島のホームランで3点くらいとったのかな?そのあとヤクルトの追い上げを牛島が辛うじて抑えるという試合だった。あれも初めて優勝を見る年だったので、最後のほうは、ハラハラの試合ばかりだった。確かこの年、中日はプロ野球記録?の年間19引き分けを記録した。中スポの渋谷さんの竜の背に乗ってにも載ってましたね。


大島選手のような若手上昇株で豪快な野手が現れてくれることを願おう。


割と長い付き合いだった大島選手。多くの思い出をありがとう。


ご冥福をお祈りいたします。

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