三沢淳さん
三沢さんがお亡くなりになられたということで、ご冥福をお祈りいたします。
今日の中スポ、巨人にノーヒットノーラン寸前まで追い込んだ試合のことが載っていた。微かに覚えていますね。あのころノーヒットノーランなんて夢のまた夢みたいな時代でした。あの試合も0-0で最終回、最後はサヨナラ勝ちだったんですね。三沢さんのノーノ―を打ち砕いたのが、柳田。あの選手はとてもシャープなバッティングする人で、私も嫌な打者だと思ってました。近年で言うと、と言ってもちょっと昔かも。清水という打者が巨人にいたと思うのですが、あの選手とスタイルが似ていた選手です。
三沢さんは結構、頼りがいのある投手でしたね。打たせて取ると言えばそうなんですけど、このころの中日もリリーフには剛球の孝政がいたのですが、先発陣は星野さんがちょっと歳になってきていて、三沢さんは軟投派。なんとなく弱弱しい投手陣。その中でも勝てていた方ではないでしょうかね。三沢さんは。
右投手だけど左打者。てのがすごく気になりました。あんましいなかった感じがする。
1982年の優勝争いの時、先発の三沢さんが4回で降板。打たれていないのに、近藤監督は早めの継投に踏み切った。その時、三沢さんは確かバットを叩きつけた。不穏な空気が流れた。なので木俣さんが言ってる怒ったことがないというのは、まあだいたい心根の優しい人だったという意味で、当時、私は三沢、けっこう熱いなと思った。
新婚さんいらっしゃいで、中日ファンの新婦が、今年は三沢で30勝!って言い放っていたのが当時、面白かった。でも不思議と、私は、そうだ!そうだ!って心の中で・・・子供のころは全試合勝利してほしいと思っていたものだ。それが歳をとるに従い、野球選手も仕事でやってるので疲れてる。いつも力を出せるわけではない。しょうがないよ負けても。という現実がわかるようになり・・・
今も低迷から抜け出してはいないけど・・・
ああ、なんか、あの頃の中日。弱かったよな。
学校で馬鹿にされたよな。ちゅーーにちファンなのかよ!ってね。
でも毎日、ともに生きていたような気もする。
ナゴヤ球場の雨上がりの夕日とか綺麗だった。
数少ない、中日の100勝以上の投手。
三沢さんもそんな思い出の中の人だった。